コラム

日本IBM人財ソリューション株式会社代表取締役 片岡久氏
第8回 世界と日本は何が違う

人財育成に関して先進的な取り組みをしている日本IBM人財ソリューション株式会社代表取締役の片岡久氏にお話を伺いました。(インタビュー2012年8月3日、敬称略)
これはその第8回になります。

第8回 世界と日本は何が違う

世界の基本はダイバーシティ(多様性)
違うからお互いに高め合える

浦山:片岡さんは、ASTDの理事もやりつつ、IBMの全世界における教育のスダンダードもご存じでいらっしゃる。この日本市場の中で教育を担当されていて感じられることをお聞きしたいと思います。世界的な教育の状況をどのように感じられているのか、それを捉えて日本の教育はもっとこうあるべきだとか、日本国内では風化しつつあるが、残すべき良いものがあるなど、感じていらっしゃることをお聞きしたいと思います。

片岡:私どもはグローバルにビジネスをやっておりますから、ベースとして大事なことはダイバーシティ、多様性です。様々な国の人たちがいる、様々な思想を持った人たちがいる、性別も含めて多様です。違いがあることが創造性を生み出し、違いがあることがお互いを高め合い、成長を生む。ここが本当に基本、大前提です。その前提からいきますと同じであろうとすることは決していいことではない。もちろん合意に達するのは重要です。最初に認識が同じであろうとすると違っていることが許せない。あるいは違っていることをなんとか説得しようとする。そうではなく、違っていることをベースにして合意をしていく。この議論の仕方、あるいはダイアログの仕方、そこが一番重要だと思います。

 例えば私どもがグローバルなチームと社内で話をする時、この違いをベースとして進めていくのですけれど、日本人はそこがまだ下手なところがあります。特に、幹部候補を選んでいく際、いろいろな国の人たちとディベートをする時です。このディベートの時に、まわりは違う人たちだと認識をして始めるのか、あるいは同じであるはずだと認識して始めるかによってだいぶ違ってきます。その部分の訓練は同じIBMの中でも日本IBMはもっとやらなくてはいけないと思います。

 同じことがおそらく日本企業、日本の様々な方にもいえると思います。どうしても、アーと言えばツー、ツーといえばカー、といった阿吽に頼るところがあります。私の会社のサイトに載せた長谷川四郎さんの記事がありまして、「話せば一瞬でわかることが、書けば千と一夜かかる」と語っています。話せば阿吽でわかるのだけれども、書き始めるといろんなことを思うから時間がかかる。ところがグローバルにことをやろうとしますとやはり時間を使わなくてはいけない。まず違うのですから。そこを阿吽でいけるはずだ、と考えてしまうと、今のダイバーシティをベースとした様々なコミュニケーションは難しくなります。

 

日本の教育の良さは技を伝える文化
納得できないから学ぶ価値がある

片岡:一方で日本のその教育のよさは、例えば茶道とか華道とか能、いわゆる伝統の芸能にある。技を伝えていく、わかってもわからなくてもとにかく教え込む。それはそれでものすごく意味がある。お互いにわかりあった上で何かをしましょうではなく、わからないからついていかざるをえない、そんな部分も必要だとは思います。ただ、それをいきなりやると違った文化の人たちは驚いてしまう。そうなるとコミュニケーションにならない。

 日本、あるいは中国もそうだと思いますが、師というのは自分にはわからない人、だからついていく。師にシラバスを一生懸命細かく書いてくださいなんていうことはあり得ない。わけがわからないからついていくという文化もあるのです。それはそれで飛躍する可能性があります。ステップバイステップで教わっていくっていうものだと、ステップバイステップで教わったものしかわからないかもしれない。しかし師についていってポンと突き放されると、ある日ものすごい飛躍が生まれる可能性はあると思います。ただ、文化によってそれが違うことは理解した上でやらないといけないと思います。

浦山最近の若い人たちは「それはどういう意味ですか?」って言ってきます。必ず納得しないとやらないところがあります。

片岡:教育ってそういうものです。世の中全部わかっている人は何も学ばなくていい。でもそれはあり得ないから、「えっなんで」と思う、「いやだ」って思ったりする。あるいは全部「はいはい」とやる人、それは学べない。納得できないから学ぶ価値がある。納得出来たら何も学ばなくていい

浦山:私もそう思います。